からっぽの言葉。自分自身への言い訳。
メディアはアメリカ兵二人死亡三人負傷という風に伝える。
だが、負傷という言葉からは一人の兵士が
現実的に一本の足や両方の手や
目や、内臓を失うということが伝わらない。
~村上龍~
特別支援学校で行った体験実習でのこと。
休み時間。
私は、ひとりの生徒とキャッチボールをしていた。
その生徒は、全く話すことができなかった。
しかし、私はなんとかコミュニケーションを
とりたいと思い、言葉をかけ続けた。
「お、うまいじゃん、野球好きなの?」
返事は返ってこなかった。
表情からも、相手の感情が読み取れない。
「体育の時間とかって、どんなスポーツをするの?」
会話は返ってこなかった。
この後も、その生徒に言葉をかけ続けた。
しかし、言葉は返ってこない。
言葉でのコミュニケーションができないのはわかってる。
しかし、私は、言葉をかけ続けていた。
そのときだった。
ふとこんな思いが頭を過ったのだ。
「私は、本当に、この生徒に向かって話しているのか?」
「私は、この生徒とコミュニケーションをとるために話をしているのか?」
答えはNoだった。
残念ながら、Noと答える私がいたのだ。
卑怯で、弱い、自分の一面に、初めて気がついた瞬間だった。
私は、その生徒とコミュニケーションをとるために
言葉を発しているわけではなかったのだ。
ではなんのために言葉を発していたのか?
答えは簡単だった。
外の目が気になるからだ。
他人の目が気になるからだ。
私は誰とも会話していなかった。
私は、誰に向かっても言葉を発していなかった。
ただ単に、自分自身への言い訳、独り言。
誰に対しても向かっていない言葉。
ぶつぶつ言っている、外目を気にした独り言。
そんな自分に気がついてしまったのだ。
その瞬間、私は、自分自身に、ひどく失望した。
この生徒には、大変申し訳ないことをしたと思っている。
教育に携わる者として、一番やってはいけないことだと思う。
いくら謝っても、許してもらえることではない。
「外の目が気になる」
自分自身につぶやくことが、そう一言つぶやく。
「そう、俺は、外の目、他人の目が気になる」
これを認める。
そして、意識する。
二度と、このようなことがないように
まずは、そこから、始めたいと思う。
決してこのときの気持ちを忘れてはならない。
常に、自分自身にそう言い聞かせている。
2009/1/8
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